「イシナガキクエを探しています」感想
最近、「イシナガキクエを探しています」というモキュメンタリーホラーを見た。
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「イシナガキクエを探しています」を見ていて思い出したのは、「電脳コイル」というアニメだった。
「電脳コイル」に登場する電脳メガネは、電話もネットでの検索も、友達とのチャットもできるし、カーナビと連携した「電脳ナビ」なるアプリケーションまでリリースされ、それひとつでAR的に現実を拡張することができる夢のデバイス。主人公やその同級生たちは小学生ながらも、メガネの存在が当たり前になった日常を過ごしている。
作品の肝となるのは、そういったハイテクノロジーとアナログな都市伝説とが融合する世界観だ。
子どもたちの間では、電脳メガネには隠された機能があるとか、メガネを通して「あっち」と呼ばれる別世界に連れて行かれるとか、そういった噂がまことしやかに囁かれている。みんなそれが嘘に決まっていると言いながらも、どこか真実味を感じて恐れてもいて、そういう心の揺らぎを生み出す都市伝説という要素は、電脳コイルの物語になくてはならないものだと思う。
「イシナガキクエ」もそうだが、アナログホラーやモキュメンタリー(フェイクドキュメンタリー)には、テクノロジーと古典的な怖さとの同居が生み出す特有の感覚がある。
電脳コイルの中にある独特の雰囲気は、こういったホラー作品群と似通ったものがあるように感じる。
都市伝説や電脳メガネを通して見る別世界を恐れる人もいれば、その世界へ行きたいと願う人もいる。まやかしと本物、電脳メガネと現実、嘘と本当の境界がモザイク状に溶け合った作品世界の中で、そのはざまを見つけて手を伸ばそうとする人と拒絶する人とがいる。
都市伝説やモキュメンタリーホラーの怖さは、今現在私たちが過ごす日常と地続きに繋がっている、という感覚にあるように思う。今いる場所から一歩だけ脇道に逸れたら、自分も当事者になってしまうかもしれないという怖さがある。
でもその怖さが、今はもう存在しないものとか、場所とか、人とか、ペットとか、もう二度と会うことができない誰かに会いたいと願うときに、私たちに希望を抱かせるものへと反転するのかもしれないと感じている。
都市伝説でも電脳メガネでも、VHSテープでも写真でもガラケーでもスマホでもとにかく何かを依代にして、その誰かに会えるかもしれないと思う時、どんな犠牲を払うことになっても愛する人に会いたいと思う気持ちが、嘘を育て、怪談を育てて、真実の込められた物語を作り出す。
もう二度と会えないとわかっているはずなのに、もう一度会えるかもしれないと希望を抱かせる嘘のために、途方もない犠牲を払うことができるのはなぜだろうか。
なぜ嘘とわかっているのに、物語に真実を感じるのだろう。フィクションが人間の心を突き動かし、作られた物語がそれを受け取った人の本当の気持ちを生み出すのはなぜだろうか。私たちが物語を作り続けるのはなぜ? 私たちがフィクションを作り、それを受け取るために、少なくはないコストを支払えるのはどうしてなのだろうか?
物語を通して別世界を覗いている短い間だけは、現実世界では割り切らざるを得ない自分の願いや思いを、物語にしかできない形で肯定することができることがその理由だと私は思っている。
「イシナガキクエ」でも「電脳コイル」でも、登場人物たちはどう考えても犯罪を犯しまくっているし、自分の目的のためなら他者を傷つけることも厭わない。そういった行為は現実世界では許容も肯定もしてはいけないしできない。しかし、フィクションであるこれらの作品を通してであれば、理屈や倫理を一度解体して、彼らの願いや強い思いそのものを肯定することが許される、ように思う。そして物語を通じて、自分自身の中にある願いや強い思いを発見することもできるし、それを一度認めることができる。そうやって私たち鑑賞者は作品世界から現実世界に帰っていく。
電脳コイルという作品の中で、「電脳メガネを、人の心を治すために作った」というフレーズが出てくる。これは作中の技術を指している表現だが、私はこれを物語、フィクションというものそのものにも通じる言葉だと感じている。
物語を通じて、絶対に叶うことのない願いやこの先も残り続ける痛みをほんの少しだけ癒やされて、悲しい現実世界を生きることとようやく向き合えるという時が、私たちにはあると思っている。
犬への扉1 宇多田ヒカル「Simple And Clean」
犬が亡くなってから3年が経った。
正確には3年と8ヶ月が経とうとしている。
犬は、2006年10月10日生まれのウェルシュ・コーギー・ペンブロークだ。子犬の頃に、ペットショップから私の家に来た。犬にはその時私が付けた「クリ」と言う名前がある。
犬は13歳のときに亡くなったが、前日まで超元気だった。なので、突然駆け足で死んだ時は驚きが勝っていたように思う。
子犬の時から乱暴者だったが、死ぬまで暴れん坊将軍の犬生を貫いた。弾丸のように走り回り、幼い家族や知らない人に触られた時にイヤな部位(脇の下など)を触られるとノーモーションで噛み付くほどだったが、ドッグランで他の犬に追いかけ回されると、飼い主の足の間に挟まって震えている臆病な犬だった。多分、とても怖がりなので、怖いと感じると噛みついて、自分を守っていたのだろうと思う。
私は犬のいない世界で生きることが今でも怖いと感じる。
音楽や文学や映画や美術は私にとって、犬のところへ繋がった扉を開くための鍵であり、私がこの3年間生きてくることができたのは、犬と、音楽や文学や映画や美術のおかげだと思う。
生身の人間の言葉や行動に、本当のこと(と私が呼んでいるもの)はなにもなかった。私が見出せないだけかもしれない。どちらにしても、だから私の人生には犬と音楽や文学や映画や美術が必要だった。
今日は私を生き延びさせてくれたもの、その中でも、犬への扉(ハヤカワSF文庫のタイトル?)を開いてくれた音楽に絞って書いていこうと思う。
一度に全ての曲について書くのは大変だったので、どれくらいの時間がかかるかはわからないが、一曲ずつ取り上げていくことにする。
* 歌詞を引用する部分がありますが、英語の歌詞の翻訳は、私が個人的に行ったものであり、誤訳を含んでいると思います。
* いくつかの曲については、アーティスト本人による日本語訳があります。気になったものがあれば、ぜひ調べてみてください。
* 取り上げる予定の曲は全て、Apple Musicで作っているプレイリストで聞くことができます。
1.宇多田ヒカル - Simple And Clean
犬が亡くなる日の朝、動物病院に行く車の中でこの曲を聞いていた。
その日は私が当時通っていた予備校の中期授業の最後の日で、高校卒業程度認定試験(いわゆる高認、旧大検)の合格通知が届いた日でもあった。私は予備校に行ってしまって、夕方早めに帰ろうとした時にはいつも使う電車が事故で運転を見合わせており、普段は乗らないバスに乗って帰った。
バス停には普段ならあり得ないような行列ができていて、私は自分が乗るべきではないバスに乗り込んでしまったことに気付けなかった。
私が、真っ暗な、知らないバス停で降りる時、バスの運転手は「ずいぶん遠くまで来ちゃいましたね」と言った。
この曲は日本語詞の「光」と英語詞の「Simple And Clean」があり、いくつか異なる部分がある。
私は英語に詳しくないため(まともに授業を受けたこともほとんどないので、中一レベルで止まっているはずだ)、歌詞に関しては意味の取り違えなども含みつつ、自分にとっての意味という部分に焦点を当てていく。
大きく違いを感じるのは、サビにあたる部分であり歌い出しであるこの部分、ボーカルのメロディだと思う。
When you walk away
You don't hear me say
"Please, oh baby, don't go"
Simple and clean is
The way that you're making me feel tonight
It's hard to let it go
あなたが歩き去ってしまう時
あなたは私の言葉を聞かない
「お願い、行かないで」
シンプルアンドクリーン
そうやってあなたは、私に今夜を感じさせてくれる
難しいよ ただ、あるがままにするのは
もともとこの曲が好きだったが、大切な曲になった。
この曲だけでなく、犬がいなくなってから、私はいろいろな曲を大切な曲と思うようになった。犬を思い出すし、音楽それ自身の中にある痛みや悲しみに触れさせてくれるようにも思う。
痛みや悲しみを生身の人間が語っているのを聞いても、こういったことは起こらなかったと思う。
音楽、あるいは文学、映画、美術、という形で出力されることで、それは私に、より真実を感じさせてくれる。
Whatever lies beyond this morning
Is a little later on
Regardless of warnings
The future doesn't scare me at all
Nothing's like before
この朝を超えた先にあるものが何であろうと
もう少しだけ先のことだよ
警告は関係ない
未来に恐れるものは何もない
変わらないことは何もない
宇多田ヒカルの歌う希望は真っ白な希望、揺るぎのない希望ではなく、揺らぎのある現象だと思う。
光は、一般に白色光のことを言うことが多いかもしれないが、白色光には全ての光のスペクトルがほぼ均等に含まれている。
「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」という映画に「太陽が爆発しても、僕らは8分間、何も知らない」というセリフがある。
太陽から地球までの距離は約1億4960万キロメートルあり、その距離を光は8分19秒かけて到達する。
「Simple And Clean」は、私の中にある現実まで、犬の死という事実が辿り着くまでの8分間を象徴する曲のように感じられる時がある。
光がたとえ真っ白に見えても、あらゆるスペクトルがあり、陰影がある。
真っ白な光とか、真っ暗な闇に見えていても、そこに目を凝らし続けていると、真っ白、あるいは真っ暗ではないことがわかってくる。明るい場所にもあらゆる段階の影があり、暗闇にもあらゆる段階の光がある。
私が宇多田ヒカルの書く歌詞について好きな部分は、世界や自分の脳は嘘をついている、という認識が基底にあると感じられるところだと思う。
私たちの脳は、真実を深い海溝の底へ沈めて隠してしまう。真実を知った時に、私たちの心が耐えきれない時があると知っているからだ。私たちは自分の心を守るために、自らに向かって嘘をつく。
世界や自分の中にある、事実であるかのように見えるものごとの奥に潜り、嘘をかき分けていった先に、真実を見つけられることもある。嘘は私たちの心のシステムであり、真実の在り方のうちのひとつだと思っている。私たちの脳という立体の、ある一面であって、それが全てではないし、全てと言われるものの一部である。
私たちは時々、強すぎる光から目を逸らしたいと思う。
私たちは自分自身から逃れることはできない。明けないかのように感じる夜は必ず終わる。朝を望んでも望まなくても光はここまで届いてしまい、逃れられない。(「遅かれ早かれ光は届くぜ」と、宇多田ヒカルは「BLUE」という曲で歌っている)
これまでと同じものはなにもない。それは揺るぎのない恐怖かもしれないが、嘘と一緒に真実があるように、恐怖と一緒に喜びがあり、絶望と一緒に希望がある。
相反する複数のものが同時にあることを認めるのは、とても難しい。しかし、これは事実であり、希望を無視したまっくらな絶望も、絶望を無視した真っ白な希望も本当はありえない。
何かを本当に望んだり、本当に獲得すると言うことは、それを本当に失うことと全く同じ意味だ。何かが私の手の中にほんのひとときの間留まって、そして去る。
光から目を逸らさないでいたいと思う。
夏は柄
夏は柄シャツの季節なので嬉しい。
絵を描いたり写真を撮ったりしてると、時間帯によって光の印象が結構違うなと思うし、同じ時間帯でも季節によって全然違って感じる。
そもそも季節それ自体が、地球の自転の軸が斜めになっているために、公転軌道上の位置によって太陽光を受ける時間や位置が変わることによって起こる現象だったはずなので、当然と言えば当然のような気もする。あと公転軌道は楕円らしく、その関係もあるのかもしれない。
夏になると、地球の夏になっている部分に対し、太陽光線が垂直に近い角度になるので、太陽の光、紫外線、熱、などがより強くなるらしい。
夏、真昼間に外出するとあらゆる物の色が鮮やかで、影も青々落ちている。
夏の柄シャツと言えばアロハシャツだが、アロハによく使われるレーヨンの質感や、輪郭のハッキリとした染め、鮮やかな配色の大ぶりなパターンなどを見ると、鮮烈な日光の下で着るために作られている服だなと思う。
日差しが強烈な時は、それによって生み出される熱も強烈なので、温められた空気がいろいろなって、風もすごい吹く。
肌と密着しない余裕のあるシルエットの、テロっとした光沢を持つレーヨン生地が風を受けると、美しいドレープを作りながら優雅になびく。
同時にそれらが作る明暗も有機的にうごめいて、パキッと平面的なパターン柄に一つ軸が加わるような気もする。
陰影と風は、テキスタイルの平面と服の立体を接続してくれる要素だと思う。
レーヨン自体軽くて薄い素材で、その上からさらに何かを羽織るということも(私は)あまりないので、かんかん照りの中、暖かい風にぶわぶわ吹かれながらアロハでうろうろするのは身軽で楽しい。
春秋冬にはレイヤードが楽しいし、それももちろん好きではあるが、着る服の枚数が増えれば増えるほど重さも増え、身体の可動域が狭くなってしまう。
とにかく身軽でいたい。荷物を強制的に減らすために小さいカバンを買ったくらいだ。
宇多田ヒカルも「鞄は嫌い 邪魔なだけ」と忘却という曲の中で言っている(その次に「いつか死ぬ時手ぶらがbest」とも言っている)。
かわいくて軽い服を着て、激しい紫外線の中を風に吹かれながらぼやぼや歩ける季節は、一年の中で最も身軽な時期だと思う。
「吹いて行った 風の後を 追いかけた 眩しい午後(One Last Kiss)」も、なんとなく夏の終わり頃のような気がする。
さらに言えば、夏の景色を春/夏/秋/冬に思い出している人の歌詞なのかなとも思う。(Earth Wind&Fireの「September」と同じ)
私自身、夏以外の季節にも夏のことを考えているし、早く夏になって欲しいと夏以外の全ての時期に言っている。
夏というフレームの中に美しいものやなくなってしまったもの、好きなもの、楽しいものがさまざま見えて、夏への気持ちを作り上げてるんだろうなと思う。
不在を描く
先日、諏訪敦「眼窩裏の火事」という展覧会を見に行った。
私はスーパーリアリズムと呼ばれるものも含め、写実絵画が好きだ。諏訪敦のことももちろん知っていたが、実物と直接対峙して見たのはこれが初だった。
今回の特別展は三章によって構成されていて、人物、静物、再び人物、という流れで見ることになる。画面上の構成、テーマなどに違いはあるが、そのほとんどが写実描写を特徴とした油彩画だ。
静物画には動く生き物が一切存在しない。植物が描かれることもあるが、画面の中の世界はどこか静止している。空気に舞っている埃まで、その一瞬を捉えた姿で描き出されそうだ。
画面の大きさも小品と呼ばれる程度のサイズで、描かれているモチーフも細々とした物をほんの数点、第一章と第三章の大きな画面の作品たちと比べるとミニマルな作品群だった。
私の中で印象に残っている作品がある。
おそらく台所の流し台のあたりに、木製のまな板が置かれている。分厚い。ところどころ水分の染みた跡、経年や日光によるものか、褪色したようなグレイッシュなトーンで描かれている。端のあたりは木目に沿ってひび割れている。包丁の跡だろう、細かい傷が幾重にも重なる。そしてその上には豆腐が包丁が入れられないまま載っていて、ほんの少しの形の崩れは見られるが、木綿らしきそのテクスチャーは形を保っている。まな板と豆腐だけの絵だ。
日本の写実絵画の最前線を行く画家の一人であるから、もちろんその描写の精確さは極まっている。
画面の中にはいくつかの直線が含まれているが、それらが平行にいくつも並ぶとか、全く直角にぶつかり合っている、というような、特別な意図がないのであれば行うべきではないとされる組み方は避けられている。
豆腐の角がほんの少しまな板からはみ出している。そのわずかなズレも、考え抜かれた上で行われていることがわかる。画面上の重心をフラットにしながら、画面の隅々まで視線が行き渡るような、繊細なバランス感覚で巧妙に構成されている。
非常に小さな画面で、明確なモチーフはたった二つの直方体、全体としても似通った色しかない。言ってみればそれだけの絵を、こんなにも丁寧に、繊細に描写する執念は、ほとんど異常なまでの域に達している。
この画面に現れる、今目の前にある実体を持ったモチーフへの果てない探究心は、一体何を探し求めているのだろうと思う。
「眼窩裏の火事」とは、閃輝暗点の症状のことを指しているという。絵を描く際に目を酷使することによって、筋肉の緊張から血流の異常が発生し、症状が現れるそうだ。
そこに何があるのかは目に見えていることが全てだ。なのに、こんなにも目を凝らし続ける理由、描き続ける理由は何なのか。
描くことでしかそこに何かを見出すことはできない。
写実絵画の中でも、スーパーリアリズムと呼ばれるような作品が描かれる時には特に、そこに嘘の入り込む余地などないかのように見える。
しかし実際には、全ての絵画と同じように、どれだけモチーフを熱心に見つめ、丹念に描写しても、それが事実とイコールで結ばれることはあり得ない。
絵を描くということは、そこに見えるもの/見えないものの、何を描く/描かないのか、どんな風に描く/描かないのか、というような無数の取捨選択の絶え間ない連続だ。
事実はただ事実であるというだけで、事実としての価値がある。
しかし人間が事実をそのまま捉えることは困難だ。その代わり、虚構を作り上げるという機能が備わっている。そして、虚構には必ず理由が必要だ。
作品世界の中に、理由のないものがあってはならない。
写実絵画は、事実をただ事実として描く行為ではないように思う。しかし明らかな虚構を作り出している場合、それは写実ではない。
事実を観察し、事実に基づいた上で、事実とイコールではない、本当の本当を描き出すという営みとして、私は受け止めている。
先述の豆腐とまな板の絵のタイトルは「不在」だった。私は展覧会で見た絵のほとんど全て、不在の感覚を持っていると思った。
傷つき色褪せたまな板、ざらついたテクスチャーの木綿豆腐。そこにある生活の気配は、傷つき、色褪せ、ざらついた、年を重ねた誰かの存在を示しているようにも思える。
そこには人の気配がない。そこにあるはずのものがない時にむしろ、その存在を強く想起する。
不在は存在のあり方の一つだ。
三章に分かれた今回の展示では、それぞれに章題が提示されていた。
第三章「わたしたちはふたたびであう」は、一人の画家の中に蓄積され続ける生活、人生が、絵を描くという行為に与えた意味を端的に表したタイトルだと思った。
私にとって絵画は窓、扉だ。
絵の中に描かれているモチーフの多くは、鑑賞者が絵画を見る時にはその場に存在しない。私たちが作品と対峙する時、そこに現れているものが虚偽なのかあるいは事実なのか、ということは知りようがない。
作家の思いであるとか、生活、人生、歴史、そういったものもわからないことがほとんどだ。
だから鑑賞者は、自分自身の歴史、人生、生活、思いだけを道標とする外ない。
鑑賞者は自分が何者であるかを規定されない。だから私たちは、他者の記憶や心を覗いているような、自分自身の記憶や心を覗いているような、そのどちらでもあるような、あるいはどちらでもないような気持ちになることができる。
私たちは見られている人になり、見ている人になり、生まれたばかりの人、これから死にゆく人になる。人だけではない。動物にも植物にもなり、水になり、塵になり、雲、海、山になる。影になり、光になる。
その全てであることもできるし、その全てでなくなることもできる。
絵画という窓枠を通してだけ出会うことのできる何か、誰かを見る。それは絵画の中ではなく、鑑賞者自身の持つ記憶、思い、から醸造された感覚だ。
絵画を見る時、作品世界における鑑賞者の立場は、客観以外にあり得ない。にもかかわらず、鑑賞者は自分の中のあらゆる記憶、思い、願いを、絵画の中に見出すことがある。
絵画という形式そのものが、扉としての働きを持っている。それは現実世界にいる時には決して開かれることのない扉だ。
絵画が見せるのは、画面の中の世界ではなく、外の世界である。
画面の中にあるのは豆腐とまな板だけだったとしても、鑑賞者として私が見ているのは画面の外の世界、そこにいたはずだった誰かのことだ。そしてその誰かは描かれていないから、私は自分自身の人生、私自身の人生にいるはずだった誰か、あるはずだった何かを見る。自分自身の記憶や思いや願いを見る。
絵を描く時、絵を見る時、私たちはもう二度と会わないはずだった誰か、何かをわずかに訪ねる。
絵画の中の風景を美しく描くということは、鑑賞者の心に触れる作家の義務かもしれないと思う時がある。
その人にとって重要な記憶や思いがいつも美しい訳ではない。言葉によって語られることに耐えられないこともある。
絵画が傷や痛みを癒すことはないだろう。誰かの墓を暴くような、暴力的な作品として働くこともある。閉じておきたい扉は誰の心にもあるものだ。
私は、その人が自ら踏み入れることを選べる唯一の扉が絵画だとさえ思っている。
重要な体験や思いは、何か一つの言葉、音、色では表現できないものだと思う。大切すぎるものが語られることは少ない。
好奇心や恐れがせめぎ合い、戸惑いながら、それでも受け止めるための腕を広げたいと思えるような作品は、事実にも虚構にも、それがそうでなければならないだけの理由が存在している。
作品というものに描かれた事実や虚構には、事実としての価値、虚構としての価値がなくなる。そこには描き手にとって本当に必要なことだけしかない。それが全てだと思う。
広げた腕の中に作品が飛び込むことはない。作品は窓の向こうから差し込んでくる光であって、鑑賞者が自らの腕の中に何かを見つけたとすれば、それはずっと鑑賞者の中にあったものなはずだと思う。
永久に癒えない傷や痛み、何かしらその人の心の中にある何か大切なものに光を当てる時、その人が見ようとすることができるものがそこにあって欲しいと思う。
痛みのまま生きる
人、犬、物、なんでもいいが、愛するなにかを失った後の人生は、絶え間なく土砂降る痛みや悲しみに打たれ続けることしかできない時もあるし、永久(とわ)に傷ついた身体を抱えて生きることだと思う。
そういう時の心の反応は人それぞれだろうが、私の場合は、もう何も見たくない、聞きたくない、感じたくないと思って目を閉じて耳を塞いで心を閉じる。
自分の瞼の裏だけを見る、自分の心臓や呼吸の音だけを聞く、それらのことを感じる心さえも閉ざして揺るぎなく真っ暗な気持ちになる。もう二度と自分には光を見て生きることができないと感じる時もある。しかし私の全てが終わったわけではなく、私の手元にはいろいろなものがあって、人生は続く。
アンビバレントな状況の中にあって、私の心や精神は混迷を極める。
人間の目はずっと同じものを見続けていると、そこに順応する。明るさへの順応を明順応、暗さへの順応を暗順応、と呼び分けることもあるが、人間の目は周囲の環境に順応して、どれくらい光を見るかということを調整している。
人間だけでなく、目という機構を持つ四肢動物の多くにはその機能があるのではないかと思う。
暗がりから動かずにいると、暗がりに慣れた目は塗りつぶされた景色にさえ光が見えるようになる。
暗い場所に留まり続けることによって、初めはくろぐろ見えていたものの中にも明暗を見るようになった経験のある人もいるだろうと思う。
視覚は人間の感覚機能の中でもかなり不正確なものだと聞く。
それを処理する脳も嘘つきで、入力された情報に不十分であったり欠けたりしている部分があると、過去の経験などから勝手に補完してしまう。今まで見たことがあるものを見ようとする機能があるからだ。
脳という臓器自体、入力に合わせて自らの形を変化させていくという性質を持っている。
私たちの脳や、その中の心というシステムは、それ単体では働くことができない。周囲の環境や、自身の身体の性質に合わせて、自らを変えていく。
過去は永遠に私たちの心へと影響を与え続けるから、堆積した記憶や経験によって現在の見え方が変わり続けている。
人間の脳は嘘つきだ。感覚でさえ絶対的な基準はない。人間の目の優れた機能は、コントラストを捉える相対的感覚なのではないかと思う。
人間は見ようとするものしか見ることができない。私に痛みを感じさせ続けているのは私自身だ。
私は私自身の内部の暗がりだけを見続ける。私の脳とか心は暗がりに順応し、目を凝らさなければ見えない明暗さえも見えるようになる。
私はいつも光を見たがっている。
私は痛みを感じ続け、喪失は強かに私の背骨を打ち砕かんと降り注ぎ続ける。もうすでに終わったはずの喪失が終わらない嵐のように感じられるのは、私自身がそう感じたがっているからだ。
私自身の取り戻したいと望む気持ち、もう二度と会えない誰かに会いたいという気持ち、それらの気持ちが、私の肉体に痛みを降らせ続けていると感じた時、喪失は転回する。
悲しみ続ける、痛みを感じ続けることは、永遠に失われてしまった何かや誰かを感じるための唯一の方法のように思う。
痛みを自らに課す行為を悼むと呼ぶのではないかと思うことがある。
私は私自身に痛むことを課す。去っていく誰かや何かを最後まで見送るのは、別れの瞬間を少しでも延長したいからだと思っている。
私が喪失の痛みを感じ続けるのは、喪失した誰かや何かからあまりにも多くのものを贈られ、私はそれを受け取り続けていて、そのことをどうしても忘れたくないと強く欲望しているからなのだろう。
失ってからようやく信じられるようになることがある。特に、人や動物などの生き物だと、その相手の心や気持ちを勝手に補完することは罪悪のように思えるし、私の持ち物ではないものにまで手を出すべきではないという気持ちもある。
しかしそれが喪失された後は、彼らの現実の存在は消え、残るのは私の記憶や思いだけだ。思い出すたびに、私の脳が作り変え続ける記憶や感情は、少しずつ事実とは異なった形になっていく。
虚構を作り出すという機能が私たちの心にはある。
私は失ってから初めて、自分が愛されていたと思うことができるようになる。人、犬、ものごと、何であっても同じことだ。
何を愛として捉えるかは人それぞれであって、私が愛と感じるものが誰かにとっては愛ではないことも多くあると思う。
しかし私の心は私のためだけに使われる。
失われてしまった重要すぎる何かを思い出す時、私はどうしてもそれらに会いたいと強く願っているのだと思う。
一説によると、弔うという言葉の語源は、訪 らう、という言葉であったという。
訪ねる、というそのままの意味の他にも、探し求めるという意味もある言葉だ。
私たちは失くしたものを訪ねたいと願う。願うから探し求めてさまよう。現実(と私たちが捉えている)世界で失ったとしても、自分の脳、心、記憶や感情の中でだけは失いたくないから、悲しみに暮れ、痛みを感じ続けるのかもしれないと私は考えている。
私に強く訪ねたいと思わせるのは、失われた誰かや何かが私に与え続けていた感覚のその全てなのだと思う。私の願いを作っているのは私と、今はもう失われた愛する何かの両方だ。
そういう風に思った時、私は私自身の心、精神、肉体や実行の全てに、愛する何かが宿っていると思うようになる。私は愛する何かと出会い直したかのように感じる。
出会い直すことは失い直すことを意味する。私は何度も出会い続け、失い続ける。
私の喪失は私が死ぬまで終わることがない。
私は、私自身、他者、世界の全ての中に、失ってしまった愛する何かを感じる。私は何度でも喪失の痛みを思い出す。私が愛する何かを感じることを望んでいるからだ。
失われてからの人生にあってさえ、愛する存在はいつも、私に光を見ようとさせるのだと思う。
臭いの描き方
肌色ってすごく奥が深い色だなと最近すごく思う。
実際に自分の肌を、特に自然光の下で見てみるとわかるのだが、肌色という色で塗りつぶされた肌は存在しない。本当にさまざまな色、紫、青、緑、黄色、オレンジ、赤、ほとんど全ての色を使わなければ、生きた人間の肌の色にはならない。
私はアジア人しか直接観察しながら描いたことがなく、その中でも特に日本人に偏っている。それでも、毎回どうすればこの人の肌の色になるんだ? と悩みながら描いている。
本当に当たり前のことではあるが、肌のトーンがそもそも全員違うし、使う色がある程度共通していたとしても、割合も当然違う。何をどう混ぜてもなかなか色が出ず、悩んだ末に今まで一度も人間の肌に使ったことがなかった色を混色してみて、ようやくその人の肌色にたどり着くようなこともある。
同じ人物でも、腕と手の甲と手のひら、全て色が違うし、面の向きなども含めると本当に途方もない。肌の色に関しては、本当に無限の広さと深さを感じる。
肌色にかかわらず、色というもの自体の奥深さは果てしない。
例えば赤色のりんごを描きたいという時に、見えたままの赤をパレットの中に見つけた時、それを塗る。
するとりんごの色にならない。まあこれはアナログで絵を描く時、特に透明水彩での着彩にはよくあることで、同じ色を塗り重ねるときちんと狙った色になるということもある。
しかし、再び赤色を塗っても、どうしてもりんごの赤にならない。
途方に暮れてしまう。自然物の色は総じて難しく、一度壁にぶち当たると迷宮入りに思える。
受験に取り掛かり始めて一年経たないような頃は経験が少ないため、特に悔いと悔いとに身もそぞろとなる(中原中也「雪の宵」)。
こういった場合の対処は本当はとても簡単だ。
絵を描く時の適切なプロセスは、モチーフそのものが最初から最後まで示している。テクニックはないよりあった方がいいが、上手く描けないのは単純に無知から来る問題であることが多いように思う。
例に挙げたりんごで言えば、モチーフとして私の目の前に現れたりんごについてもっと知る必要がある。
りんごは最初から赤いわけではない。当たり前のことだが、目の前の画面の中で格闘している時は不思議と、そういう簡単なことを忘れてしまう。
りんごは最初は果実ですらない。花だ。私たちが花として認識している部分と茎の間、と言った方が正確かもしれない。
花びらが散った後、実となる部分は基本的に緑色で、栽培されているものはそこから日光から遮られた状態に置かれたりもするので、薄い黄緑色のような色になる。
その後日光を受けることによって赤く色づいていくのだが、黄緑色から赤色になるまでに、黄色、薄いオレンジ色、オレンジ色と赤の間、赤、……大まかにはそういったプロセスを踏んで、私たちがよく知っている「りんご」の色になっていく。
りんごが目の前に現れるまでの実際のプロセスをなぞって描くと、りんごの色が現れる。当たり前と言えば当たり前だが、自分の頭の中に閉じこもってしまうとわからなくなる。
自然物の多くは純粋な色ではない。全く同じりんごももちろん存在しないので、それぞれのりんごの色と向き合わなければ、嘘っぽい絵になる。
モチーフが変わっても、基本的な軸は同じだと思う。モチーフをじろじろ見ていると、どうやって描けばいいのかをモチーフそのものが示していることに気付く。基本的にはその通りに描いている。
それに気付くまでも個人的には長かったが、そこから自分の意図をどう混ぜ込むというところがようやくスタートなのかなと思う。モチーフを見ることができるようになるのは、建造物を建てたい土地をようやく更地にできたようなものと感じている。
人間の肌もりんごと同じで、その人がどんな時間を過ごしてきたのかを知ろうとしなければ、その人を描くということはなかなか難しいように思う。
それなしでも人間だなあというものを描くことはできると思うが、それは記号としての人間を描いているだけになってしまう。
もちろん、記号を描くことが必要な場合もあるし、記号の表現を探求する描き手もいる。私はそういった人々を尊敬しているが、少なくとも私はそこには至っていない。
何かを知る時、生身で向き合うことも重要なことだと思うのだが、描くことを介して向き合う、少し離れたり斜めから見たりしながらモチーフと向き合う、というプロセスを踏むことで、もっと知ることができるものがある気がする。
絵を描くことは、自分が知らないことに気付くプロセスでもあり、知っているような気がしているものを舐めるように見て、初めて知ることができるようなものもあると感じている。
描く時には、生身で見つめるよりも熱心に見つめなければならないし、生身で触るよりももっと繊細に触らなければならない。だから私は描くことを通して、私には知らないことがたくさんあると気付くことができる。
知らないし知りようもないことを、それを了解した上で知ろうとする、分け入っていくことを続けて行くことが私には必要だと思う。
私の愛する画家の一人である竹内栖鳳は「動物を描かせればその臭いまで描く」と評された。確かに匂い立つような何かがある。
栖鳳が師事した幸野楳嶺は多くの近代日本画の大家を送り出し、写生を重視していたと言う。
ただ見るだけではなく、舐めるように見る、表層に現れているものの向こう側にある何かを見ようとすることで、モチーフとなる何かや誰かの心から立ち上がる臭いや温度を描けるようになるのかもしれないと思う。
本文で大口を叩いてるのに全然描けてないのダサいよ〜
愛されないのは難しい
人間が誰かや何かと関係する時に、愛されることを回避することはとても難しい。
愛を全肯定とか完全無欠な抱擁とか揺るぎのない許しと捉えたとしたら、また違う感覚だと思うし、違う表現をしなければならないと思う。思うが、何かを知るたびに、愛とは私が知覚するものだけではないと知るばかりだし、私がまだ知らない愛が世の中にはたくさんあるのだろう。
コンビニでパンを買うとかジュースを買うとかそれだけで、それを作ったり考えたり届けたりしている人の広く愛を受け取っているなということをよく思う。
別にその人たちは、私の目を見て愛していると情熱的に言う訳ではない。
自分がお金を稼いだり、自分自身(や身近な人たち)の生活を守るために仕事をしている人が大半だろうと思うし、強く「愛されている!」と思う訳でもない。
でもなにかを作ってその上売る時、それを受け取ったりお金を払ったりする人のことを一切考えない、ということはなかなか難しい。
もちろんそれも仕事としての話であり、私という個人(現実存在としての個人)を想定して作られた商品はこの世には存在しない、と言っても差し支えない。
ただ、何かを作って世の中に送り出す時に、これを受け取ってくれる人がいるといいなーと、ぼんやりとしてでも願い、祈り、を抱く人は少なくないと思っていて、それは愛ではない、とは私は言えないなと思う。
それは結構途方もなくない? と思う人もいそうな考えではあるが、もっと身近な例で考えると、昔友達だった人や、今友達である人たちは、例えば1年に一回とか、5年、10年、20年……に一回とかかもしれないが、私のことを思い出してくれる時があると思う。
今ここにいない人を思うということについての話を(たいてい物語の中で)耳にする、あるいは目にする時に、私はそれを愛だと感じる。
多分私は目に見えないものや耳に聞こえないもの、触れないもの、言葉にされないものを、より強く真実だと感じるのだと思う。
目の前で何がなされているかということが、もちろん、私にとって全てである。
しかし、だから、私に見えるものが私にとって全てであるように、誰かにとってその人に見えるものが全てであり、また別の誰かにとってもその人に見えるものが全てであるはずだ。と、そう考えると、私の知らない、全て、が多分あるのだろうとも思う。
知りようのないことは世の中にたくさんある。
私は、自分は何も知らないなといつも思う。
そういう意味では、知り得ないことを知ろうとし続けることを、私は愛と感じるのかもしれない。
知り得ないことを知ろうとする、ということを続けるには、知らないことがあるという恐怖や、知りたいというおぞましいまでの欲望そのもの、変えようのないことへの絶望、カミュの言うところのシーシュポス、太宰の言うところのらっきょうを芯まで剥く猿、……のような絶望、を自らの内で受け入れなければならず、また継続しなければならない。
そのことがどれほど苦しいかということは、もちろんわからない訳ではない。
私は多くの人から愛されている、と本当に思っている。
何もかもを捧げられることや、心や肉体が近いことや、明確な言葉に表現されることだけが愛ではないだろうし、時折思い出してくれる人がいるかもしれないなー、と考える時に、私は自分が愛されていることをもっと自覚しなければならない、と思う。
愛されているということ自体が、私にとっては多分少し悲しい。私が関わった誰もが私を愛してくれていたとしても、私にはそれは必要ないし、それで救われるものはなにもない、と思う。そのことを申し訳ないなと思う時もあるが、私は本当にすぐいろいろなことを忘れてしまうので、時折思ってもすぐに忘れる。
忘れていても多くのことは人間の心(脳)に蓄積され続けるのだろう。だから私は安心していろいろなことを忘れることができるのかもしれない。
好むと好まざるとにかかわらず、生きていると愛されざるを得ない。
私は誰かと会ったり、何かを見つけたりする度に、どんどん愛されることを回避することができなくなっていくなーと思う。