夏は柄

 

夏は柄シャツの季節なので嬉しい。

 

絵を描いたり写真を撮ったりしてると、時間帯によって光の印象が結構違うなと思うし、同じ時間帯でも季節によって全然違って感じる。

 

そもそも季節それ自体が、地球の自転の軸が斜めになっているために、公転軌道上の位置によって太陽光を受ける時間や位置が変わることによって起こる現象だったはずなので、当然と言えば当然のような気もする。あと公転軌道は楕円らしく、その関係もあるのかもしれない。



夏になると、地球の夏になっている部分に対し、太陽光線が垂直に近い角度になるので、太陽の光、紫外線、熱、などがより強くなるらしい。

 

夏、真昼間に外出するとあらゆる物の色が鮮やかで、影も青々落ちている。



夏の柄シャツと言えばアロハシャツだが、アロハによく使われるレーヨンの質感や、輪郭のハッキリとした染め、鮮やかな配色の大ぶりなパターンなどを見ると、鮮烈な日光の下で着るために作られている服だなと思う。

 

日差しが強烈な時は、それによって生み出される熱も強烈なので、温められた空気がいろいろなって、風もすごい吹く。

 

肌と密着しない余裕のあるシルエットの、テロっとした光沢を持つレーヨン生地が風を受けると、美しいドレープを作りながら優雅になびく。

同時にそれらが作る明暗も有機的にうごめいて、パキッと平面的なパターン柄に一つ軸が加わるような気もする。

 

陰影と風は、テキスタイルの平面と服の立体を接続してくれる要素だと思う。



レーヨン自体軽くて薄い素材で、その上からさらに何かを羽織るということも(私は)あまりないので、かんかん照りの中、暖かい風にぶわぶわ吹かれながらアロハでうろうろするのは身軽で楽しい。

 

春秋冬にはレイヤードが楽しいし、それももちろん好きではあるが、着る服の枚数が増えれば増えるほど重さも増え、身体の可動域が狭くなってしまう。

 

とにかく身軽でいたい。荷物を強制的に減らすために小さいカバンを買ったくらいだ。

 

宇多田ヒカルも「鞄は嫌い 邪魔なだけ」と忘却という曲の中で言っている(その次に「いつか死ぬ時手ぶらがbest」とも言っている)。

 

かわいくて軽い服を着て、激しい紫外線の中を風に吹かれながらぼやぼや歩ける季節は、一年の中で最も身軽な時期だと思う。



「吹いて行った 風の後を 追いかけた 眩しい午後(One Last Kiss)」も、なんとなく夏の終わり頃のような気がする。

さらに言えば、夏の景色を春/夏/秋/冬に思い出している人の歌詞なのかなとも思う。(Earth Wind&Fireの「September」と同じ)

 

私自身、夏以外の季節にも夏のことを考えているし、早く夏になって欲しいと夏以外の全ての時期に言っている。

夏というフレームの中に美しいものやなくなってしまったもの、好きなもの、楽しいものがさまざま見えて、夏への気持ちを作り上げてるんだろうなと思う。

 

 

記事に合わせて書いたカーテン 2023/06/06